衆院選からあけて一日。
この不均衡さは、やはり恐ろしいと、そう感じてしまう。
政権交代、までは実際にはむつかしいだろうとは思っていたが、
この数字の偏りは、驚いた。
今回、郵政民営化という問題を前面に押し出して
国民に問うたというカタチだった。
それも、みんなで考える問題の一つであることは変わりない。
けれど、国として考えるべきは、それだけでは、ない。
それだけのことを問われたわけではないはずだし、
今後、わが国がみんなで考えていかなければならない問題は
今、たくさん列をなして林立している。
この選挙の結果の数字をみて、ふと脳裏をよぎる一抹の不安がある。
最近こんな本を読んだ。
『憲法を変えて戦争に行こうという世の中にしないための18人の発言』
このことについて、私はほんのちょっとの入る隙間もなく、
憲法9条は、私たちが失ってはいけないものだ。とそう思っている。
でも、普段、本や映画や音楽や仕事の話をする、ある人と、
戦争についての話題になったときに、
彼はこういった。
「家族や、愛する人に、銃が向けられるならば、僕は迷わず自分も銃をかまえる」
・・・
・・・・・・
その気持ちに対して、
なぜ、銃を向けられることをまず前提におかなければならないのだろう。
なぜ、戦わなくてはいけない状況に持ち込んでしまうのだろう。
そんなことになる、その前に、なんとかするべきではないのだろうか?
彼を責めることはできないが、ほんとうにかなしい気持ちになったことを、よく憶えている。
私が甘いのだろうか…
・・・
・・・・・・
この世に生命が発生して以来、いろんなカタチで争いや淘汰のあった生物たち。
こんなに悲しい思い出の記憶を体の奥底に抱いていながらも、
どうしてその争いはやむことがないのだろう。
大きなことを考えることはむつかしいとしたら、
小さなことから考えよう。
大切な人々が、これから先もずっと笑顔でいられるためには、
どうしたらよいのか。
『茶色の朝』をむかえないために
私たちは、どんな国にすみたいのか、考えることが必要。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
わたしたちの国の憲法 前文より